

ご存知の通り、吃音とは
ある言葉が詰まって発声できなくなる病気である。
吃音の人は吃音が始まったその瞬間から、
「言いたくても言えない。」ジレンマというものと常に戦い続けている。
ところで吃音の人にはそれぞれ「発声しにくい行」というものがある。
「発声しにくい行」は、
人によって様々。
彼らは日常会話において、できるだけ自分の不得意な「行」の言葉が会話に及ぶのを
避けたがる。
それでも、会話上自分の不得意な「行」の言葉を使わなければならない状況がある。
そういったケースに直面した場合、彼らはいったいどうするのか?
彼らはそういった緊急事態に直面した場合、本能的に
「自分が発声しやすい同じ意味の別の言葉」に置き換える性質がある。

以前よりは減ってきたとはいえ、
やはりまだ吃音への社会の風当たりは強い。
客観的に見て、やはり吃音の聞き苦しさや奇異な感じは否定できない事実である
。
しかし、逆に言えば、その聞き苦しさや奇異な感じによって、
吃音の人が他から注目を集めやすいのも事実である。
彼ら自身それは百も承知で、
注目が集まる分、話の内容の質を高めなければと常に話の内容の質を上げるトレーニングに余念がない。
荒波に揉まれて、鍛え上げられていくのだ。
