

誰もが持っている劣等感。
それは自分が人よりも劣っていると思い込み、
積極的な活動を自ら妨げてしまう、悲しい心。
人は自らの劣等感とどう向き合っているか?
今回は生まれつき「出っ歯」というハンディを背負ったA君の人生を通して、
劣等感とは何かを考えてみる。

"生まれつき出っ歯"と言うと、いささか語弊があるかもしれません。
でも、わたしの記憶の限りではわたしは物心ついたときから、
歯並びが異常に悪く、前歯の2本だけが
醜く前に飛び出している有様でした。
それで、ついたあだ名が「出っ歯」。
心を許した親友からでさえ、
「出っ歯、出っ歯」と呼ばれていました。
小学校1、2年ときはまだ我慢ができました。
けれども、学年が上がっていき、
異性を意識しはじめると、
「出っ歯、出っ歯。」と自分の容姿のことを揶揄されるのが
たまらなく辛くなっていく自分に気づき始めるのでした。



わたしは悩みに悩みました。
どうしたら、この苦しみから逃れられるのだろう、と。
そして、わたしはその苦しみの中からひとつの答えを導き出しました。
「そうだ、ギャグにしよう。」
自分の最大のコンプレックスである"出っ歯"をギャグにして笑い飛ばせば、
最低限、相手に馬鹿にされるのを防ぐことができる。
子供ながらによく考えたものです。
それで、できたギャグが「出っ歯ナハナハ」と「 出っ歯の国にコンニチハ」と「出っ歯でーす。」です。

わたしはコンプレックスをギャグにすることで、
わたしの最大のコンプレックスであった"出っ歯"を克服しつつあったのに、
わたしの最大の理解者であるはずの両親が突然、
わたしの"出っ歯"を見て「かわいそう。」と言い出しました。
「わたしたちの責任よ。ごめんね。」と時折涙を見せながら、
わたしの"出っ歯"を見て、すまなそうな顔をするのです。
結局、親になかば強制的に矯正歯科に連れて行かれ、 歯を矯正することになりました。 歯の矯正が終わり、歯がすっかりきれいになった今、ふと思うことがあります。 それは、わたしが自らの"出っ歯"をギャグにしてまでコンプレクッスを打破しようとした努力はいったい何だったのだろうということです。
